「間違えた自分を許すことのできない人は、間違い続ける獣となる。」
自分を正しいと思い込む人が非常に多い。
明らかに常軌を逸している行為・言動であるにもかかわらず、自分が正しいと思い込んでしまっている人がとても多く、見苦しいと思うことが多々ある。
人は、過ち・欠点に気付き、失敗することで成長していく生き物だ。
例えば、レントゲン写真を見て病気の有無を判断するとき、その判断が正しいか正しくないかを知ることができないのであれば、病気の有無を判断する能力は一生上がらない。
自分の行動が成功したか失敗したか分からなければ、改善するはずがないのだ。
自分の過ちを気が付けないことを「停滞」と呼ぶ。自分一人が停滞しているならまだしも、停滞するために他人を攻撃することは「迷惑」で有害だ。
なぜこんな簡単なことを理解できず自分が正しいと思い込んでしまうのか、自戒を込めつつ深掘りしていこう。
正しいとは何か
まず、正しいとは何かを考える。
雷が激しく鳴っているとき、『木の下に隠れる』のと『建物内に避難する』のは、どちらが正しいか。
答えは「どちらも正しくない」だ。
一般的な知識があれば『木の下に隠れる』のは危険なので『建物内に避難する』方が正しいと答えるだろう。
しかし、この問いには”目的”がない。雷に当たりたくないのであれば『建物内に避難する』が正しい答えであるが、雷に当たりたいのであれば『木の下に隠れる』方が正しい答えとなる。
つまり、正しいとは”目的に対して有効であること”。ある目的を達成するために適切であれば、それは「正しい」と言える。
行動だけを見て正しいかどうか判断することはできない。目的を伴って初めて正しいかどうか分かるのだ。
このとき、”雷に当たりたくない”のに”木の下に隠れる”ことを選択する人がいた場合、その選択をする理由は二つ。
①『木の下に隠れる』と雷にあたることを知らない。
②本当の目的が他にあり、隠している。嘘をついている。
このパターンだ。
①の場合、単なる知識不足なので知識を補えば解決する。
性格が悪く間違いを指摘できないリスクのある(器の小さい、非を認められない)人物でなければ、「それは間違っていますよ」と指摘して終了だ。迷える子羊といったところか。
問題は②の場合。
②の人は雷に当たりたくないことが目的ではないため、木の下にいると雷が当たりやすいことを説明しても意味が無い。
本当は木の下にいると雷が当たりやすいと分かっているのに木の下に誘導しようと嘘をつく悪魔か、建物に入りたくない・論理的ではなく自分で行動を決めたいだけの獣のどちらかだ。
正しいとは、その行動が目的達成のために有効かどうかで判断されるため、雷に当たりたくないのであれば建物に入ることは「正しい」。
雷に当たりたくないのに木の下へ移動するのは一見正しくないが、②の場合(本当の目的が他にありそれを隠している場合)は周りから見ると正しくなくても本人にとっては正しい。
「悪魔」タイプであれば嘘をついて騙すことが目的であり、「獣」タイプであれば論理に縛られず自分の欲求のままに行動することが目的であるため、本人にとってどのような選択でも正しいことになる。
自己認識に欠け自己防衛をする人は現実を正しく受け入れることができない
自己防衛は誰もが持つ自然な心理的反応だ。
誰かから攻撃される自分を守るのは、何の変哲もない普通の反応であると言える。
ただ、感情のコントロールが苦手な人は、防衛本能に逆らえず冷静に自分の状況を判断することができない。
ゆえに、少しでも反対意見を言われると、まるで人生全てを否定されたかのように逆上し感情に思考を支配されてしまう。獣に成り下がる。
確かに、自分に対して否定的な意見を受け入れることは難しい。アイデンティティを否定されたような息苦しい気持ちを味わうだろう。
しかし、自己防衛のために自分の考えを正当化し、誤りを認めることを避けるのは人間として正しくない行いだ。
人でいたいならば、批判の内容を精査し、淡々と改善・改良を行うべきである。
論理的に正しい批判であれば受け入れ、正しくない批判であれば無視をする。その繰り返しが子羊を人へ変化させる。
批判の内容に感情的になり、感情で判断する行為は獣だ。
批判の目的は「何かしらの間違い・欠点を指摘し、改善を促すこと」であるため、指摘されたことが本当に間違いかどうかを精査し、間違っているならば改善することが「正しい」。
にも関わらず、その間違いが本当かどうか精査しないということは①か②の場合のどちらか、
・批判が何か理解していない(子羊)
・何か嘘をついて騙そうとしている(悪魔)
・批判を目的としていない(獣)
のどれかであることが分かる。
現実を見よう。人の意見が正しいかどうか精査しよう。
現実を歪ませることで「自分は正しい」と思いこみ、周りから評価されない現実から目を逸らし、理解しないことで自己肯定感を高めるのは止めよう。
感情的で心が狭い・器が小さい人は現実を正しく受け入れることができない。自分が間違っていると気付くことができない。
獣はプライドを感情的に守ることを目的としてしまうため、人との会話が成立しなくなってしまう。
人は間違いを正すために批判を行うが、獣は相手を屈服させ感情的に満足するために批判を行っているからだ。
互いの目的が異なると、まるで一方通行の会話のようになり、相手が何を言ってもそれが正しく理解されず、「自分の言いたいことを言うだけ」の状態に陥る。
なぜまともに会話できないのか、その理由は自分か相手のどちらかが獣もしくは嘘つきの悪魔だからだ。
そのような人物と関わることは大きなストレスになるため、人は獣から離れていく。
実際には、相手が反論することを避けているだけで何も肯定していないにもかかわらず、自分の意見が否定されなかったことを肯定されていると受け取ってしまう。悲しき獣。
類は友を呼ぶと言う通り、周囲に残るのは自分と同じ獣だけになる。その結果エコーチェンバーが加速し、「悲しき獣」が量産されていく。
獣の見分け方は簡単だ。仲が良い人間の種類が少ない人は、人の皮を被った獣である可能性が高い。
感情的な人は物事の目的を履き違える。例えば、批判の目的は攻撃ではなく間違いの指摘・改善であるのに、攻撃だと勘違いする。批判されると目的を「自己防衛」にしてしまうため、通常正しいはずの行動を行うことができない。
ゆえに、自分の過ちに気付くことができない。
なぜ自分の考えが間違っていると気付けないのか?
①知識や経験が不足しているから(子羊)
単純に知識不足の場合、間違いに気付くことができない。
知識や経験を補えば間違いに気付くことができる。
他者の意見を受け入れるか、練習をしよう。
②-1 嘘をついている(悪魔)
周りから見ると「あの人は自分の間違いに気付いていない」と感じるかもしれないが、実は敢えて嘘をついていて騙そうとしている可能性がある。
あなたと目的を共有していないため、目的を達成するための行動を行っていない(間違っている)ように見えるのだ。
②-2 感情に従っている(獣)
自分が気持ちよくなりたい、自尊心を守りたい、人を陥れたい…等々、己の感情に従っている獣は間違いに気付けない。
正確に言うと、あなたとは違う目的で行動しているため、あなたから見ると間違っているように感じるだけだ。
サッカーの試合を行うとき、貴方は勝つことを目的としているかもしれないが、その人は自分が気持ちよくなることを考えている。ゆえに、間違った行動をしてしまう。獣だ。
企業ではチームの連携が重要だが、連携して利益を得ることを目的とせず自尊心を保つことを目的とする獣がいる場合、その獣は正しい行動(連携して利益を得るための行動)ができない。
どうすれば自分の間違いに気が付けるのか?
あなたが「子羊」タイプならば、知識と経験を補おう。
どうやって知識や経験を得ればいいかは分野によるが、共通しているのは「自分の行動が正しいかどうか判断できる環境に身を置くこと」だ。
サッカーのリフティングならば、ボールを落とすとすぐ間違いに気が付ける。
試験勉強をしたいなら答え合わせをすれば良い。
人間としてより成長したいなら、自分の間違いを指摘してくれる人生の先輩に師事しよう。
あなたが悪魔であるならば、特に何も言うことはない。そのまま人生を楽しんで欲しい。地獄が笑顔で君を待っている。
あなたが獣であるならば、目的を見失わないよう気を付けよう。
感情に任せて目的を勝手に変えるのが獣なのだから、目的さえ見失わなければ獣にはならない。
どうしても獣になってしまう場合は、獣でも大丈夫な環境に身を置こう。適材適所にした方が、全体の利益の総和は大きくなる。
まぁ、それができないから獣なのだが。