現代の勝敗は「道徳的優位性」で決まる。
道徳的に正しい人が勝つ。
悪人は集団リンチされて滅びる。
現代社会で争いが生じたとき、勝敗を左右するのは能力でも議論の巧拙でもなく、その場でどちらが道徳的に優位な立場にあるかだ。
善人として見られている人は守られ、支援が集まる。道徳的に不利な立場にある人は、たとえ一時的に勢いがあっても、集団からの支持を失い、結果として劣勢に追い込まれる。
誰かを支配したいならば、道徳的に正しい行いをしよう。
本当に善人であるか、戦略的に善人を演じているかは関係ない。「どちらが善人に見えるか」が重要だ。
一般大衆は、争いが起きたとき「どちらが道徳的に正しいか」を値踏みし、道徳的優位にある勝ち馬に乗ろうとする。
なぜなら、誰しも自分が正義側でいたいと思うからだ。
ふわちゃんとやす子
2024年8月、やす子はXに「生きてるだけで偉いので皆 優勝でーす」と投稿した。他方、ふわちゃんはこの投稿を引用し「おまえは偉くないので、死んでくださーい 予選敗退でーす」と書き込んだ。

投稿は短時間で削除されたが、スクリーンショットが共有され、広く知られることになった。
やす子は「とっても悲しい」と善人ムーブをすることで道徳的に優位に立つことでフワちゃんに圧勝し、フワちゃんは芸能界から消え失せた。
やす子が勝った理由は「正しい側」にいたからであり、フワちゃんが負けた理由は「無礼」「過激」というキャラクターでヘイトが溜まっていたためである。
フワちゃんを叩くのは悪を攻撃する行為なので批判されにくい。
多くの人はフワちゃんを攻撃する意見を表明することで快楽に耽ることになった。
道徳的優位性を保つと勝てる理由
道徳的優位性を保つと勝てる理由は、
①善人と見なされる側には味方が集まる。
②正義は気持ち良い。
③数は力になる。
④善人を批判すると自分が悪人に見える。
というものだ。
善人は批判されない、味方が集まる。
正義という勝ち馬に乗ると勝てるから気持ちいい。
自分のプライドを守るため、自分は悪人ではないと信じるため善人の味方をする。
これらの要素が道徳的優位な人を勝利に導く。
どの場面でも道徳的優位性は勝利要因になる
普段から正しいことをしている人は非難されにくい。
企業の不祥事では、「反省している」姿勢を正しく見せることで道徳的優位を獲得しやすく、許される。
学校では、ルールを丁寧に守る生徒の失敗は「たまたま」と捉えられ、強く注意されない。
地域では、日常的に奉仕的である個人の言い分は信用されやすく、味方が多くなる。
いずれも、行為の善悪の実体判断に至る以前に、観察可能な態度と履歴が「善人らしさ」を形成し、評価が決まる。
要は、人は行為そのもので判断するのではなく、人物像に引っ張られて人を評価するのだ。
ハロー効果みたいなものだ。
『ダンマパダ』を基準にしよう
仏典の『ダンマパダ(法句経)』を読もう。
人として正しい行いとは何か、『ダンマパダ』にまとめて書いてある。
正しいこと・正しくないは10歳の男の子でも理解できる程度のことだ。
アンパンマンとバイキンマン、道徳的に正しいのはどちらかなんて誰にでも分かる。その程度のものだ。
道徳の教科書に載っているような、簡単な義務論で語られるようなこと。
ただ、普通に正しいことを行えばいい。
炎上
ネット上で見かける炎上。
炎上している人は道徳的に正しい人だろうか?答えはもちろん「NO」だ。
批判している人も、道徳的に正しいのだろうか?答えはもちろん、「NO」だ。
悪いことをする人はゴミ、一方的にお気持ちを表明して気持ち良く攻撃している人もゴミ。
道徳的に正しくないが故に負け犬になっている例があちこちにあるのだから、勝つためには正しい側にいればいいだろう。
