生きる意味は、自分で好きなように決めるものです。
最初からあるものではありません。
見つけるものでもありません。
大抵の場合、他者から決められるものでもありません。
生きる意味は、自分で決めて大丈夫です。
自分で、自分の人生とはどういうものであるか定め、誓いましょう。

その昔、人生は他者によって決められていた
かつて、生きる意味は他者から決められていました。
神に仕えるため、来世で救済されるため、罪を償うため。神の決めた何かしらの理由のために生きていました。
他にも、村のため、国のため、土地のため、役割のため、血縁のため…。
身分制度や閉じ社会では、個人の価値観によって生きる意味を決めるのではなく、自分ではない別のものによって生きる意味を決められるものでした。
このような状態を、ニーチェは「神が生きている世界」と捉え、神によって生きる意味が決められていた時代であったと私も考えています。
しかし、近代以降、科学の登場や近代化によって、神や閉じた社会の影響が少なくなり(神の死)、人生の意味は自分で決める必要が出てきました。
「なぜ生きるのか」
「どう生きるべきか」
「自分は何者なのか」
これらの問に対し、現代では自分で答える必要があります。
生きる意味が与えられていた時代はとっくに終了しており、現代は、生きる意味を自分で決める時代なのです。
溺れている子供を助ける意味
具体的に考えていきましょう。
目の前に溺れている子供がいます。手段はどうあれ、この子供を助ける意味はなんですか?

その意味って、他者に決めてもらわないと分からない感じですか?
助けたいと思うなら助ければいい。
子どもの将来のことを思うなら、そう思えばいい。
どうせ人は死ぬので意味ないって思うなら、そう思えばいい。
その行為に価値を見出しているという事実が、その人の人生を成立させているんじゃないですか?
自分が「大事だ」「こう思う」と感じることが何より重要であり、それが全てです。
人生の意味を他者に決められる時代はもう終わっています。
神は言いました、溺れている子供は助けるべきだと。ゆえに、子供を助けるべきだ。
この村では、溺れている子供は助けるべきであると決まっている。ゆえに、子供を助けるべきだ。
なんてことは、もう無いんです。
人生も同じです。
意味は自分で考えなさい。自分を信じなさい。
比べても意味がない
人生は相対的なものではなく、絶対的なものです。
能力が高く、多くの人に影響を与える人生は価値があるように見えます。
凄い人と比べて、自分の人生なんて意味はないと感じちゃうかもしれません。
もし、「社会的価値=生きる意味」ならば、
・多くの人に影響を与える
・能力が高い
・代わりの人がいない
人は、生きる価値が高いです。
「社会的価値=生きる意味」であると生きる意味を決めているならば、社会低価値が低い人は生きる意味はないでしょう。
繰り返しになりますが、生きる意味は自分で決めるものです。
「世界にとって価値があるか」と「自分にとって価値があるか」は別です。
世界から見たら代わりの人がたくさんいたとしても、自分にとって自分は代わりがいないじゃないですか。
他者と比べることに意味があると思い、他者と比べて劣ってるから必要ないという考えを採用しているなら、比べることに意味はありますし、劣っていることは価値がありません。
しかし、それを決めるのは自分です。
生きる意味を考えるのは、心に余裕がないとき
長年追ってた推しの初ライブに参戦。
最前列ど真ん中を勝ち取り、一番近い位置でライブを楽しむことができた。
そんな人に聞いてみましょう。
「生きてて意味ありますか?」

そんなの、まず間違いなく「意味ある」と答えると思いますし、その感覚は理解できますよね。
「生きる意味は自分で決めるものだ」という考えは、心に余裕がある状態だからこそ成立する側面があります。
精神的に追い込まれ、落ち込み、気力が枯渇しているときに「それでも人生に意味を見出せ」と言われても難しいというか、キツイと思う人もいるでしょう。
本音を言えば「甘えるな」という感じですが、優しく言えば「生きてるだけで偉い」と考えてもいいでしょう。
立ち直るまでの間の暫定的な考えとして、「生きてて偉い」は成立すると考えています。
もちろん、あくまで一時的なものですけどね。
ブサイクに生きる意味はあるか?
それは自分で決めてください。
生きる意味があると思うなら、生きる意味はあります。
生きる意味がないと思うなら、ありません。それだけです。
「ブサイクは恋愛市場で不利」「ブサイクは人に不快感を与える可能性がある」くらいのことは言えますが、だからといって生きる意味があるだのないだのは全く決まらないと考えるのが普通だと思います。
ブサイクだからモテない
⇒これは事実である可能性が高い
ブサイクだから生きる意味がない
⇒明らかな論理の飛躍
社会には見た目で評価する側面がありますし、そこで不利な人がいるのも事実です。
しかし、生きる意味とは全く関係ありません。
持ってる手札が違うだけっていうイメージですね。
価値判断は好きなようにすればいいと思います。
まとめ
総合すると、生きる意味とは「最初からあるもの」でも「誰かが保証してくれるもの」でもありません。
世界にとって無価値でも、自分にとって価値があるならそれで良いじゃないですか。
意味があるから生きているのではなく、生きた結果、振り返ったときに意味を感じるんです。
自分とって価値があると思ったことに他者の同意なんて必要ない。社会規範と常識を守ったうえで、好きなことをやりましょう。
